どうも、ねじまきです。
第2回目のニュースレターでの読書会。
・・・お知らせしていた14章(文庫版 P409まで)の感想をざっくりと。
個人的な感想
・・・あえて話の筋というよりも脇に逸れたような雑感を箇条書きで。
もちろんネタバレありなので、未読の方はご注意を。
・大佐の孤独について、かなりダイレクトに尺を割いて書かれているのが印象的だった。(文庫P261あたり)
そう思うと、プーチン大統領ってメンタルが鉄みたいに強いんだろうなと。
・コロンビアにもカーニバルはあるのを知った。
古い情報かもしれないけれど、リオに次いで世界2位の規模のお祭りがあるらしい。
・マコンド村へのバナナの侵略とオーバーツーリズム。
・下ネタちょこちょこ入ってくるのなんか知らないけどコロンビアっぽい気がする。
・ウルスラのような”強い女性” 観について。
映画では、”メキシコマフィアが、母ちゃんの悪口を言った奴をすぐに撃ち殺す”、みたいな映画のシーンがよくあるけれどメキシコと同じように、母の立ち位置はもしかすると一家のなかで男性より強い文化があるのかも?
・この時代にマコンド村に三人の皇后が来てるっていうのがなんか非現実的。(P316)
・自由党とか保守党とか、時代背景を理解してないとたぶん読み取れてないことがわりとありそう。
・ホセ・アルカディオはなぜ神学校に行きたがるのか?
(どこかに書いてありましたっけ?話が出てきたときも唐突でなんか飲み込めなかった)
・顔をあわしたこともないのにアウレリャノが大集合するのおもろい(P335)
・製氷工場のくだり (文庫P338)
たぶんホセ・アルカディオ・ブエンディアは、一族みんなに初めて氷を触った時のことをずっと喋ってたんだろうな、と思うと微笑ましい。
・一族にとって宿命的な孤独 という言葉が直接出てくる意味。(文庫P398)
・ウルスラの老いをみていく流れがけっこうキツい。それでもタダでは老いないスーパーお婆ちゃん。
・アウレリャノ(大佐)が栗の木で死ぬシーン、なんかとても寂しい。
ちょっと予定より短めの14章(P409)で区切った。
大佐の死でいい感じに(というと申し訳ないけれど)話の転換点で終われたので逆によかったかも。
Youtube
作者の故郷、コロンビアのアラカタカ (Aracataca) のドローン撮影。
ガルシア=マルケスを称えるアラカタカでの記念イベントやお祭り。
Quotes:
印象に残った文章の引用をいくつか。
何も起こらないということ。
これが、この際限のない戦いのもっとも恐ろしい点だった。予感にも見放された孤独な彼は、死ぬまでつきまとわれそうな悪寒から逃れるために、マコンドに、さまざまな遠い思い出のなかに、最後の隠れ家を求めのだった。
大佐の孤独。戦争文学的な側面も多くて今の時代、深読みできてしまうよね。
「この家の人間はみんなそうなのよ。生まれつきおかしいんだわ」
ウルスラのお言葉。ここまでの展開を知っていれば、そりゃあこういうのも仕方ない気がする。
八年の歳月が流れて、ラテン語で詩をつくり、クラビコードを弾き、貴族 と鷹狩りの話をし、大司教と護教論をたたかわし、外国の君主と国事について語り、 飲泉と神について論じることができるようになったとき、彼女は両親のもとに帰って、 非儀用の棕櫚編みを始めた。
夏目漱石がもしコロンビアにいたら、小説でこんな人物描写をしそうだなと思った。
架空の人間の見せかけの不幸に流す涙などあるものか、自分たちの苦労だけでたくさんだ。彼らはそう思ったのだ。
活動写真がマコンド村にやってきた様子の描写。こういう細かいところが好き。
彼女はシーツに抱かれて 舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後の四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけない はるかな高 みへ、永遠に姿を消した。(P369)
有名なレメディオスがシーツで飛び立つシーン。やっぱり文章が素晴らしい。
参考になったリンク集
個人的に参考になったリンクやリソースをいくつか貼っていくコーナー。
・南米コロンビアの新5万ペソ札の顔に文豪故ガルシア=マルケス 19日から流通|海外文学ニュース|破滅派
日本でも新札が発行されたので、2006年に発行されたガルシア=マルケスが載せられている5万ペソの話を乗せてみました。ちょっと欲しいですよね。
・誰とでもつながれる時代なのに寂しさを感じるのはなぜか? 齋藤孝が傑作『百年の孤独』から答えを探る(レビュー)(Book Bang) -
では、この小説の主題である孤独とは何を指すのか。それは「愛の欠如」です。
色々見方はあると思うけれど、自分なりの”孤独”の意味が見えてくる小説なのは間違いないなと。
・文庫化で話題騒然『百年の孤独』 刊行から50年なぜいま文庫化なのか?担当編集者に聞く
作者が亡くなって10年の節目であること、そしてNetflixの映像化も頭においての文庫化なんだとか。
菊池 本書が出版された1967年は、ガルシア=マルケスと同時代人であるキューバのチェ・ゲバラが殺された年でもあるんです。当時の南米大陸はアメリカとソ連による冷戦の代理戦争の舞台になっていたわけですが、『百年の孤独』はそうした時代に書かれ、読まれた作品でした。自分の生地の何でもない村で起こる一族の物語を、このように描いて面白く書けるのかと、ヨーロッパやアメリカ以外の、第三世界の国々の多くの作家たちが勇気づけられたと思います。
ヨーロッパ、アメリカ、あるいは西側諸国を中心にした世界への異議申し立てという色彩は、結果的にはあったかもしれません。
この内戦に従軍した祖父に、マルケスはさまざまな物語を聞かされて育ったわけです。そこには権力に対する、あるいは植民地主義や帝国主義に対するアンチテーゼというのは自然なこととしてあったんじゃないかなという気がします。本書の文体に関しては、祖母が彼に語って聞かせた物語が彼に影響を与えたとされますが、『百年の孤独』は戦争文学のひとつの形なのではないかと思うんです。
開高健の『夏の闇』は『百年の孤独』と同じ年に日本で刊行されたというのもびっくり。
新潮社公式の ”孤独T”。家系図を描いたものもあって笑ってしまった。
これ着てる人がいたら、思わず声かけてしまいそう笑
書籍関連のトピックとして僕のブログの記事。
海外文学好きの方はぜひとも。
・ニューヨークタイムズによる「21世紀のベスト本100冊」が発表。 - 世界のねじを巻くブログ
・NewYork Timesの"読者"が選ぶ本100冊と補足記事あれこれ
Q&A
個人的に気になる質問をいくつか。
「ねじまきBBS」で回答お待ちしてます。
Q1. 9章~14章で、一番好きな場面や文章は?
Q2. 『百年の孤独』ぐらいに登場人物が多くて、読むのに困った小説は他にありますか?
・・・ということでそろそろこの辺で。
最終回は31日に配信予定。
次回は月末までに最後まで読んで頂ければと。
ほかに感想・気になった点、読書の進捗なども、
掲示板「ねじまきBBS」やコメントでお待ちしてます!
そろそろ「ねじまき通信」も配信予定なのでこちらもお気軽に読んでみてください。
ようやく読み終えて、読書会参加させていただきました。
読みながらの感想が書いてあるのが、リアルタイムな感じがして楽しいですね。
①最も心に残った場面は、(多分読書会第1回の部分ですが)ホセ・アルカディオ・ブエンディアの死でした。最後に花がふってきたところも印象的でした。
彼の生き様は自分に素直なところがあって、肯定的に感じる部分が多かったです。周りは大変だけど。
②タイタンの妖女は人の名前+独自の用語が入り乱れて、読み慣れてなかったので苦労しました。
相関図と自分なりの用語解説みたいなのをつくったら途端に楽しくなった記憶があります。
百年の孤独は3回書き直しました笑
不眠の病、「あ、こういう話なんだ…!」と一気に惹きこまれて、その後割とすぐ「あ、違うんだ…?!」となって、あれは何だったんだ感がしばらくありました。
最終回も楽しみにしています!